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2015年1月 8日 (木)

SNS(交流サイト)は教師のいない教室のようなもの?

マスメディアからパーソナルメディアへ人々の関心が移って、テレビや新聞の影響力が劇的に低下しつつある。FacebookやTwitterなど、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)と呼ばれる交流サイトでは、個々に分断されたグループの中で情報が完結し、しばしば極端な盛り上がりが出現する・・・。

ジャーナリストの烏賀陽弘道(うがや ひろみち)氏の論考が興味深い。

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かっては、朝日や日経の一面に眼を通し、NHKの7時のニュースやニュースステーションを見ていれば、社会の主な出来事のあらましは理解できた。しかしいま、PCやスマホのヘッドラインニュースでは、政治も芸能ニュースも同じ比重となってしまった・・・烏賀陽氏はこれを“ニュース・センターの消滅”という。

ニュースの中心がなくなって、人々は「見たい情報を自分で取捨選択する」ようになった。

“こうしてユーザーがネットを通して見る「現実」は、限りなく「それぞれの関心や好みにカスタマイズされた現実」=「パーソナライズされた現実」に変貌していく。

TwitterやFacebookといったSNSに至っては、誰をフォローするかによって流れ込んでくる情報が一人ひとり違う。つまり、案外気づかないが、SNSを通してみる「現実」は「一人ずつパーソナライズされた現実」なのだ。”・・・と。

「社会全体が関心を持つ大きな話題」はなくなって、“「少数が関心を持つ」「無数の」「小さな話題」が登場した。こうした有り様は「教師がいなくなった教室」に似ている。”・・・とも。

これは自由だが、限りなく混沌としたカオスの中に居ることであり、しばしば仲間内での極端な盛り上がり=“ノリ”が場を支配してしまう。

ネットが理想社会を開くという“インターネット・ユートピア”より、ヘイトスピーチやイスラム国など、負の局面の“デストピア”が目立つように・・・。

かって私は、Facebookのニュースフィードは“大学の学生食堂”のようだと書いた。それぞれのテーブルで別々の話題で親しい仲間が盛り上がっている。いまや教室も同様のようだ。

もはやGoogleやFacebook以前には戻れない。加速度的にスピードを増しながら、いったい世界はどこに行くのだろう・・・。

坂本 洋

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