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2015年9月 3日 (木)

「あなた、お茶が入りましたよ」を超えて

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私が青年だっだ1970年ころ、‟行動する知識人”として小田実が眩しく輝いていた。「学問の世界」に閉じこもって状況に口をつぐむ多くの学者とは違って、小田実はいつもデモの先頭を歩いた。

それまでの、書斎や研究室イメージの学者や文化人に対して、当時の友人の女性が、「『あなた、お茶が入りましたよ』の世界にいるんでしょうね」・・・とうまい表現をした。

やがて全共闘やべ平連の活動家も社会に入り、会社や家庭で日常生活の中に組み込まれていく。運動の中に入ってなかった、職場・女性・子ども・・・など、生活の中で自らの思想との整合性を問われることになるのだが・・・。

当時はまだ高度成長の余韻が残る時代、「一流企業」の企業戦士は、男性一人の稼ぎで家族を養うことが可能だった。専業主婦となった女性との家庭内分業に安住できたので、「お茶が入りましたよ」の世界は存在し続けた。

反体制活動家から企業戦士へ・・・ほとんどが華麗に転身していく中で、不器用な少数派はもう一つの生き方を模索することに。

女性や子どもとの関係、障害を持つ人、在日の人々・・・それまで視界の中に入ってなかった存在との関係が日々問われることに。

「お茶を入れてくれる人」がいなければ出せない「成果」なんて後ろめたいよなぁ~と思うが、今の学者や文化人の環境はどうなんだろう?

時代は変わり、専業主婦は一部富裕層の特権になった。共働きでも食えない若者は、「お茶を入れてくれる人」どころか結婚すらできない状況に追い込まれている。

「役割分担」は必要か? その中にヒエラルヒーはないのか? 

近頃は、家事育児を担い、パートナーと対等な関係を構築しながら、顕著な理論や作品を創り出す学者も居そうだよね。そんなしなやかな人の繰り出す理論や作品はきっと優しいことだろう。

「お茶を自分で入れる」からといって、いい思想や作品が作れるわけではないのが悲しいところだけどねぇ~( ̄▽ ̄)

坂本 洋

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コメント

華麗に転身した人も、どこかでリストラを宣告する立場で、うつ状態になっていたりするわけですから、なんとも頼りないものですね。
いい作品や思想ができなくても、今日もまだもがきながら生きてるで!でいいんじゃないでしょうかね。
「その考え方は生産的でない」というようないいかたに、ずっとこだわって今に至っていますが、そういった途端に高齢者や障がい者は身を縮めていなくてはなりません。
かといって、「その考え方は非生産的でいいね」などという時代がくるとも思えませんが・・・。

投稿: 山田隆志 | 2015年9月 3日 (木) 21時22分

途上国の追い上げはますます激しくなるでしょうし、恐怖感に煽られながらもなんとか「豊かさ」を手放したくはない・・・生産効率を高めるには人減らしが欠かせず、人件費は極限まで削られる・・・究極の椅子取りゲーム状態でしょうか、今は。
「豊かさ」の中身を変えるしかこのチキンレースから降りる道はないと思います。

豊かさ、便利さを求めながら、時として人はキャンプを楽しみ、山に登り、マラソンを走る・・・そのあたりにヒントがあると、ずうーーと思っているのですが・・・(^^;)

投稿: 坂本 洋 | 2015年9月 4日 (金) 07時10分

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