大震災から22年・・・忘れないといいつつ風化する記憶
1995年1月17日未明に起こった阪神・淡路大震災・・・当時、豊中駅近くの借家に連れ合いと二人の子どもと住んでいた私。突然の強い縦揺れと、続いて起こった大きな横揺れで、古い木造平屋はギシギシと音を立てて激しく揺れた。
「アカン、壊れる!」と、とっさに傍に寝ていた娘の上に布団を持って覆いかぶさることしかできなかった(>_<)
一瞬の出来事が、時が止まったかのように長く感じられたが、幸い家屋は倒壊するところまでは行かず揺れは治まった。
壁が崩れ、屋根瓦が崩落し、借家は半壊・・・その後一年、ブルーシートを張った屋根の下で暮らすことになった。
テレビの映像を見ると、神戸が大変なことになっていた。運送会社に勤めていたが、自宅も大きな被害を受け、関東大震災クラスの巨大地震に襲われた関西・・・とても仕事どころではない。当然仕事を休んだのだが、その日休んだのは私一人だけだった。
流通倉庫も被害を受け、モーターや制御盤が倒れ、得意先との連絡も取れない。第一、道路が大混乱でとても配達などできないのだが・・・それでも会社は営業し、トラックは出て行ったと後で聞いた。
結局仕事にならず、引き返したわけだが・・・緊急車両の通行妨害にしかならなかったことだろう。
我が国の民間企業はどんなことがあっても休まない・・・(>_<) 震災だけでなく、集中豪雨や豪雪、台風や大規模停電・・・それでもみなさん健気に会社や学校を目指す。
公務員や、ライフラインを守る仕事はともかく、そこまでしなくてはならないとは私は全く思わない。まずは自らと家族やご近所、親しい人々の安全確保が最重要課題。仕事はその後にすべき。無理して駆け付けても、どうせ仕事にならず、道路混雑で緊急車両を妨害するだけ・・・と思うが、それは少数派のようだ(^^;)
「大規模災害への普段からの備え」が強調されるが、それも持続することは難しい。とりあえず、三日分の米と水、カセットコンロがあれば最低限命はつなげる・・・我が家はそれ以上の備えはしていない。暖房には、火鉢やロケットストーブもあるしね(#^^#)
大規模災害は避けられない。被害を最小限にとどめるためにも、無理して職場に駆け付けることはやめにしませんか?
坂本 洋
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