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2017年1月 5日 (木)

大阪で平和運動一筋 和田長久さんが亡くなった

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大阪軍縮協の事務局長として長年、核兵器禁止と平和運動をけん引してきた和田長久さんが年末の31日亡くなった。享年83歳、昨日豊中市内で無宗教による葬儀が行われた。

この写真は、東日本大震災と福島原発事故直後の2011年3月27日に、豊中で行った原発問題学習会での在りし日の和田さんだ。

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核兵器と原発は別のものではない・・・人間には制御できない放射線を何万年も出し、どんなに微量でも体内に入ったら人間の細胞を破壊し続けると、脱原発を訴え続けてきた。

そんな和田さんとの出会いは1968年、二十歳そこそこの若者だった私が、北摂べ平連(ベトナムに平和を!北摂市民連合)の事務局長として、大阪空港の軍事使用と、新明和工業の米軍機修理に反対する月例デモ行進を行っていたころ・・・わが町にある戦争協力に対し、何かしなければおれないとの思いに駆られた一途な若者だった。

既に大阪の平和運動の重鎮だった和田さんだが、何も知らない若造の私に、上から目線ではなく、同時代を生きる「志を同じくする仲間」として親しく接してくださった。

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そんな出会いの中から、豊中の和田さんの自宅を改造して、“ロック喫茶FREAK”が誕生・・・「政治と文化のハザマ」を追及する私の夢が実現し、パートナーはお連れ合いの和田明子さん。

薄暗い狭い店内には、和田さん愛用のラックスの真空管アンプとタンノイのスピーカーが置かれ、温かい豊かな音質でジャズやロックのレコードが一日中流れた。

タバコの煙と音楽があふれる中で、若く貧しく美しくない私たちは、政治を文化をロックを語り街にメッセージを発信・・・ミニコミ“FREAKOUT”を発行し、“はみだしコンサート”では、友人の故・モモタローピンク率いる“貧°苦巣(ピンクス)”をレギュラーに、頭脳警察や友部正人など黎明期の日本語ロック・フォークミュージシャンを豊中に呼んで借金の山を築いていた・・・( ̄▽ ̄)

物心両面でお世話になった和田ご夫妻だが、私はその後FREAKを離れお会いすることも少なくなった。FREAKはやがて、明子さんが主宰する「女性の自立支援のスペース」に引き継がれて行った。

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最近は酸素ボンベを引きずって・・・という痛々しい状態になりながら、最後まで平和と核廃絶・脱原発に執念を燃やし続けておられた。

総評・旧社会党系組織の職員でありながら、草の根の市民運動を終始暖かく応援してくださった和田長久さん・・・同時代に、あなたのような“しなやかな先輩”がおられたことを心から誇りに思います。

軟弱な私など足元にも及びませんが、若い世代への共感とささやかな応援は心がけて行きたいと思っています。本当に長年お疲れ様でした<(_ _)>

坂本 洋

 

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