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2017年4月16日 (日)

核も原発も一緒・・・「原子力はごめんだ」を生涯貫いた和田長久さんを送る会

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昨年の大晦日、83歳で亡くなった和田長久さんを送る会が開かれ、連れ合いと参加。反核・脱原発一筋に60年、「原子力はごめんだ!」を貫き通した平和運動のリーダーへの敬意と、その親しみやすい人柄に魅かれた多くの人々が集まった。

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労働組合運動を皮切りに、冷戦時代には反核平和運動に奮闘。大阪軍縮協事務局長の要職にありながら、反原発の「草の根市民運動」を応援・・・PLP会館の「つゆくさ小屋」は、関西の小さな市民グループ交流の場となった。

20歳のころ、北摂べ平連を主宰していた私は和田さんと出会った。一回り以上年下の私に、既に平和運動の重鎮だったにも関わらず親しく接していただき、物心両面で本当にお世話になった。

1972年、和田さんの家を改造し、ロック喫茶FREAKが誕生・・・パートナーはお連れ合いの明子さん。そこで出会ったミュージシャンたちと「はみだしコンサート」を開催。1975年には豊中市議選に乱入、スローガンは「太った豚どもにクロスカウンターを!」 世間をお騒がせすることになる(^^;)

やがて私はFREAKを離れ、その後FREAKは女性の自立を目指すフリースペースとなった。

組織の専従として、さまざまなしがらみがあったことだろうが、やんちゃな私たちを絶えず応援してくださった・・・自らの未知の世界へのリスペクトだったのではないかと私は想像する。

ベトナム反戦運動盛んな1960年代のアメリカでは、ジョーン・バエズやボブ・ディランなど政治と音楽の限界領域で新しい文化が生まれつつあった。「アメリカの息子たち娘たち」という16mmフイルムには、その当時の生き生きとした路上のデモが描かれているが、いち早く日本に紹介したのが和田さんだった。

5月19日(金)、そんなFREAKを一日だけ復活し、「はみだしコンサート番外編」を開催。オーストラリアから帰国ツアー中の田中研二をメインに、京都からは豊田勇造がゲスト。FREAKゆかりのミュージシャンも多数駆け付けて、オルタナティブに生きる私たちの今を表現・・・もちろん、和田明子さんも来られる。

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和田長久さんを偲び、貧°苦(ピンク)や備瀬を思い、新たな刺激を体感したいもの。「我々はなるべく闘うぞーーーー!」

不肖、坂本 洋プロデュース(^^;) みなさんよろしくね(#^^#)

坂本 洋

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