« “大阪のてっぺん”深山では、ススキが早や満開 | トップページ | 無農薬・有機の米作り“猫の手倶楽部”の稲刈りは16日(土) »

2017年9月12日 (火)

障害者解放運動の巨星墜つ・・・河野秀忠さんが亡くなった

Kawano_2

「そよ風のように街に出よう」編集長で、障害者解放運動のリーダーとして長年闘い続けてきた河野秀忠さんが亡くなった。

少し前、朝日新聞に闘病の写真が載ったが、点滴のチューブにつながれベッドに横たわる姿は痛々しかった。

1102892485_main_l

Dscn1691

私より5歳年上の河野さんと出会ったのは、今から30年ほども昔、豊能障害者労働センターのスタッフだった八幡隆さんが、市議会議員選挙に初挑戦した時。

市民派議員の選挙プロデューサの経験を買われ、友人が引き合わせてくれたのだが・・・どこの馬の骨か知れない「よそ者」に、「大物」は極めて冷たかった(>_<)

イベントのポスターを、いつも一人で電柱に糊張りしていた河野さんに対して、「掲示板にそんな貼り方をしたらしわしわになる」と、私は水張りをアドバイス。

鼻で笑った河野さん、実際にベニヤ板に貼る勝負をすることになった。二枚の選挙ポスターを見比べた河野さん・・・「一目瞭然!」・・・一気に信頼をいただくことになった(^^;)

Irube02

その後私の住む豊中市で、重度の脳性麻痺の女性、入部香代子さんが市議選に立候補することになり、私がプロデュース。

河野さんは一切を任せてくれた。まだ若かった私、ありったけの知識と経験と情熱で選挙を戦い、入部さんも全身全霊を込めて市民に訴え、仲間も総がかりで応援し見事当選! 全国初の女性「車いす」議員が誕生した。あの感動を私は一生忘れない。

彼女の母体となった「えーぜっとの会」は、パンを製造販売していたがなかなか売れない。「障害者が作っているから買う」ではなく、「おいしいから買う」とならないと・・・そんな世間の声に対し、「坂本さん、そんなことができるぐらいなら、世の中に障害者問題など存在せえへん。『できない』からこそ障害者なんです!」と・・・一生忘れられない重い言葉だ。

入部さんを3期12年支え、その後「女性を議会へ!」と転回した私。些細な行き違いから河野さんと反目し、疎遠になってしまったが、人間として心から尊敬する気持ちは変わらない。

偉大なリーダーには比ぶべくもないが、「誇り高き貧乏人」というのは一緒と、勝手に思っている(^^;)

文字通り、生涯を通じて障害者解放の運動をけん引し続けた河野秀忠さん、あなたの前に道はなく、あなたと障害者が歩いた跡が道になった。

「やすらかに眠れる」状況でないのが心残りだろうが・・・本当にお疲れ様でした<m(__)m>

坂本 洋

|

« “大阪のてっぺん”深山では、ススキが早や満開 | トップページ | 無農薬・有機の米作り“猫の手倶楽部”の稲刈りは16日(土) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134196/65780547

この記事へのトラックバック一覧です: 障害者解放運動の巨星墜つ・・・河野秀忠さんが亡くなった:

« “大阪のてっぺん”深山では、ススキが早や満開 | トップページ | 無農薬・有機の米作り“猫の手倶楽部”の稲刈りは16日(土) »